048-716-7239

受付時間10:00~19:00

※レッスン中は出られない場合があります

これまでの人生 ~ ウィーン留学と恩師から学び、受け継いだこと

私のこれまでの人生と、私が恩師から学び、受け継いできたこと(生徒さんに伝えていきたいこと)を語っていきます。

目次

ピアノの習い始め ~ ご縁の連鎖で世界の巨匠に出逢い、ウィーンへ行く決意をした中学2年生

4歳年上の兄のことを全部真似したい私。兄がきっかけでピアノを本格的に習い始めたのは7歳。あまり早くはありませんでした。
母親は「音大とか目指さないけど本格的に学べる先生には習って、看板を背負わず人の前で楽しく演奏していけるピアニストになってほしい」という思いがあったようです。
そういうこともあり、調律師から紹介された、作曲家エリック・サティーにも師事した柴野さつき先生(以下S先生)との出逢いからスタートしました。

S先生は、小さい私にも容赦しない大人のようなレッスンで、当時は怖かったし毎回ドキドキしていたのを覚えていますが(もちろん基本は優しいのですけどね笑)、今思うと、今の自分が創り上げられた土台のスタートは、彼女とのレッスンだったと確信しています。

8歳の時のレッスンのこと。
1フレーズ弾き終わった後、「今日は弥生ちゃんの音じゃないから楽しくないわ~」と言われたことがありました。当時の私には、「きちんと直してきたし、○をもらう気満々で来たのに、先生何言ってるんだろう・・・」ちんぷんかんぷんでしたよ(笑)(『弥生ちゃんの音』このことは、後にウィーン留学した時に気付いた瞬間がありました!)

そんな彼女から中学2年生の春「私の良いも悪いも全部教えたから良い人がいたらアタックしてみなさい」と言われました。日本ではなかなかない発言ですw

その数日後、たまたま地元でショパン弾きのツェルニー・シュテファンスカのコンサートを聴きに行くことがあり、私は「この人に習いたい!」と、恐れ知らずのことを言いました(笑)
そして、そのマネージャーさん(以下Iさん)に声をかけて色々お話したのですが、スケジュールが合わず、シュテファンスカとのご縁はあっさりボツに。

しかし、S先生を紹介してくれた調律師が、私の話をしてくれていたこともあって、後日Iさんから母に連絡が来て、「他にも色々な海外アーティストをマネージメントしているので、まずは娘さんがどの程度か私が聞いてあげるわよ。」ということで、東京の彼女のサロンまで。
なかなか良い印象で聴いて頂き、お茶タイムをしていた時、海外から1本の電話が。

後日そこのサロンで企画されていた公開レッスンのキャンセル者が出たという内容だったのです。
すかさず、Iさんは私をその枠に入れるようお願いしていました。
その相手こそ、私の人生を変えた世界の巨匠、ウィーンの三羽ガラスと言われたイョルク・デームスでした!

彼のレッスンを受けた時、そのレッスン内容の深さに目からウロコでした!
超厳しいのですが、本当に楽しかったのを今でも覚えています。
そして、彼から「ウィーンへ来ないか?」と言われました。
私は当時、獣医師になる夢を持っていて、高校は北海道の獣医専門を目指していたので、はじめは断りました。

でも、レッスンを何回か受けるうちに音楽の素晴らしさに魅力を感じ、幼いながらに「獣医学は大人になっても学べる。でも、もし北海道に行ったらピアノは今までのようには出来なくなる。これは“今”がチャンスなんだ!」とウィーンへ行く決意をしました。

それからは、デームスから紹介された彼に30年以上習う平賀寿子先生に日本では師事することになりました。
これまた、とにかく熱い先生で、多方面でご指導頂きました。
今もお世話になっています。

今の私を創り上げたウィーン時代 ~ 恩師ペーター・エフラー教授と音大編

2000年、そんなこんなで中学を卒業して、いざウィーンへ。

「君が合格したら、私に信じてついて来なさい!」
そう言って下さったのは、デームスからウィーン国立音大で習うならこの人!と紹介された恩師ペーター・エフラー教授。
それから同年6月末の入試に向けて、まだ16歳の私に温かくも熱いレッスンをして下さいました。まだまだドイツ語がままならない私に丁寧に分かりやすくレッスンをして下さいました。

「聴いて下さる人の心に響くピアニストになる!」そんな単純な夢を持ち、中学卒業してウィーンへ飛び出し、まだまだ音楽に無知な私でしたが、彼のレッスンでさらに「音楽の素晴らしさ」に出逢いました。

まだ未成年だったので、家・各種契約などのサインが必要になるので、最初の1週間だけ母も同行しましたが、その後ずっと一人でも
『とにかく彼の門下に入りたい!』
ただその一心でホームシックになる余裕すらなくガムシャラに弾きまくっていた日々を思い出します。
あっ。でも、母が帰ってから数日は、歯ブラシが2本あったり、箸が2膳あったり、ちょっとしたとこで「1人だ・・・」と涙こぼれてた日もあったな・・・。

当時は、合格者が194人中13人で日本人は私ひとり、とかなりの倍率でしたが、無事に彼の門下に入ることが出来、そこからたくさんの音楽と愛情・刺激を与えて頂きました。

当時、私はウィーン国立音楽大学と並行して、ウィーンの地元高校生活も送っていたので、その時も保護者としてサインをして下さったり・・・
そんな高校生活に対しても、時には、叱咤激励。
私にとって第2の故郷ウィーンの父親的存在でした。

たくさんの愛のある言葉をかけて下さって、彼からたくさんのチャレンジとチャンス、夢を頂き、本当に成長出来ましたし、その過程が今のピアニスト・指導者根岸弥生を創り上げたといっても過言ではありません。

本当に色々あり過ぎて書き切れないです・・・笑

当アカデミーレッスンでは・・・

生徒さんが私との出逢いに「本当に良かった!」と思って頂けるよう、生徒さんとの寄り添いを「カタチ」として残していきたいと思っています。

今の私を創り上げたウィーン時代 ~ 原因不明の目の病と獣医大編

たくさんの経験をしたウィーンの生活の中で一番苦しかったのは、突然の原因不明の目の病。ある時から段々と目の中に油が入っているかのような滲みを感じ、それを機に今度はだんだんと視野が狭くなっていくのを感じました。
(今は、多少視野が狭いものの、メガネ使用でも見えるまでになりました。)

ある医者からはストレスと言われたり、ある医者からは病名を言われ「このままだと数年後に盲目になるかも」と言われたり・・・で眼科恐怖症になっていました。
現に全く見えなくなってしまう時があって、コンサートの途中で急に見えなくなることもあったので、朝起きて目が見えなくなってしまったら・・・と、夜寝るのが怖くなってしまった日も多々ありました。

でも、恩師や仲間にたくさんのサポートをしてもらったお陰で前向きになり、「もし盲目になってしまった時のことも考えて、目が見えているうちにやりたいことをやろう!!」という気持ちになりました。

そのひとつがやっぱり諦められなかった「獣医学」。
ウィーンでは、大学をWで学ぶことが出来たので、地元高校にも通っていたので、地元民でもとにかく難しいと言われる高校卒業試験(大学入学資格)を合格して、獣医大にも通いたい!と思い始めたのです。

それには、ドイツ語力がとにかく大事。当時3年計画で、中級辞書(必要なさそうな単語は省略)をA~Zまで覚えまくりました。
その積み重ねも成果に出て、今度は音大と並行してウィーン大学獣医学部にも在籍出来ることになりました。

基本は音楽留学。「ダメならやめればいい」くらいのラフな気持ちで通っていたら、やっぱり楽しくて(笑)
「人が滅多にしない経験を人が滅多にしていないようなレベルでしろ!」精神で、結局、国家資格取得することが出来ました。

別の角度から眺めると、世界は鮮明に見えてくるのですね。
この頃から「痛みは成長痛なんだ!」と、原因不明の目の病にも感謝するようになりました。
エネルギーをもらえる仲間って最高の財産ですね!

獣医師免許はオーストリアのものなので、日本では資格使用出来ませんが、この経験を活かして現在は、動物愛護の譲渡ボランティアなどに知識を提供したりしています。

ここも本当に色々あり過ぎて、書き切れないです(笑)

でも、確実に言えるのは、根岸弥生という人間が、この時点から「人間の持つ素晴らしい力」を凄く大切に思うようになったことです。

恩師ラザール・ベルマンとの出逢い ~ ウィーンからフィレンツェまで通ったプライベートレッスン

今は亡き、プライベートレッスンの恩師、リストの再来と言われた世界の巨匠親愛なるラザール・ベルマン。
彼との出逢いは、仲間が通っていたウィーン私立音楽大学に彼がセミナーに来ていた時、仲間が受けていたので聴きに行った時。

もともと、彼の演奏が大好きでファンだったのですが、まさか本物に会えるなんて!
こんなチャンスを無駄にするなんてありえない!!
と、私は当時、主催者のコンセルの教授にお願いして、レッスン後にお話させてもらう機会を作ってもらいました。

そして、
「あなたのレッスンを受けたいので、私の演奏聴いて下さい!」
という、若さゆえの半ば強引にベルマンに言いました(笑)

でも、彼は快く聴いて下さいました♪

演奏後の初めに言われた
「君は本当に16歳?」
が、今も忘れられないです。
そして、
「フィレンツェまで通えるのなら、喜んで君と音楽を楽しんでいきたい」
と言ってくれました。

そんなわけで、ウィーンに留学中、月に2回イタリアはフィレンツェまで彼のレッスンに通うことになりました。どうしても自分で貯めたお金で行きたくて、仕送りを節約して(笑)

彼からは、主に彼の得意とするリストやロシアの作曲家の曲を学びました。

彼が亡くなるまでのたった5年の弟子でしたが、彼からはたくさんのことを学びました!
ベルマン邸に「ピアノ研究会」という名の泊まり込みレッスン会をしたり、門下でロシア合宿したり、思い出がたくさんあります。

そして、彼の演奏を聴く度に、感慨深くなります。
当時のガムシャラな自分がいたこと(笑)

【精神力の成長が技術の向上にも繋がる】を気付かされたベルマンとの本番

「眼を瞑ってごらん!いま、弥生の心に【音の魂】が響き渡っているかい?」

今は亡き恩師、ラザール・ベルマンとコンサートをやった時、ゲネプロ前に彼からお守りとしてリングをプレゼントされた時に言われた言葉。

私「はい!」←(100%じゃなかったと思うが:笑)

当時18歳の私には、とてつもなく大変なプログラムでした…
彼は私に試練を与えたのでしょう。

べ「その魂が存在する限り、君の音楽には【愛】があり、【言葉】があり、そして【希望】が生まれるんだ!」

私「・・・」(今なら超分かる言葉!)

べ「無限大の音の魂を引き出し、アーティストとして、ただ出し切るのではなく、ステージ上から、何か1つでも収穫して帰ってくるんだ!」

なるほど・・・

あの時のベルマンの言葉が、いま演奏活動したり、生徒さんを教えながらヒシヒシと感じます。

「技術」は単に超絶テクニックじゃない。
【音】無限大すぎる件!

当アカデミーレッスンでは・・・

「音の響きは 心の響き」
たった一音からでも、様々な色やニュアンスが現れてくるものです。
自分の創造している音に耳を傾ける習慣をレッスン通して身に付けて、「教えられた演奏」ではなく「自分の演奏」を出来るようにしていきます!

色々経験して大切にしている言葉(こと)

私のこれまでの人生でウィーン在住時代、目の病などから、信じ抜いていることがあります。

1つのことを成し遂げる、仕上げることには大変なことが多いです。
でも
【大変】とは、人を『大』きく『変』える!!
そんな意味を持つ言葉だと思います。

限界は何度だって超えられます!
だからこそ、生徒さんにはその気持ちをパワーに変えることの出来る子に育って欲しい!と私からもたくさんのパワーを送りたいと思っています。

恩師ペーターからの最期の言葉 ~ 当アカデミーへの想い

2022年2月9日にウィーン国立音楽大学での恩師が天に召されたのですが、闘病中、何度もビデオ通話やメッセージのやり取りをしていて、生前最期のビデオ通話した時に「何か1曲弾いてくれないか?」と言われて演奏をプレゼントした後に言われた言葉があります。

「弥生は、本当に私が伝えていきたいことを きちんと受け継いでくれたね!嬉しいよ!最高の生徒だ!幸せだよ!ありがとう!!」

私の音楽の中に永遠生き続ける恩師から言われた最幸に嬉しいお言葉。

私事ではありますが、この言葉をずっと大切に、私はこのアカデミーでもその【音楽の素晴らしさ】と【愛情】を受け継いで、自信を持ってレッスンをしていきたいと心から思っています♪

体験レッスン大歓迎!

おひとり1回の体験レッスンを行います♪

フリューゲルピアノアカデミー

所在地

埼玉県さいたま市桜区道場2丁目
※栄和小学校近く

048-716-7239

目次